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リトアニア・カウナス 2015年夏、「命のビザ」 杉原千畝記念館 訪問記
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「日本のシンドラー」と讃えられる杉原千畝さんのことを知ったのは、奥様の杉原幸子さんが書かれた「六千人の命のビザ」を読んだことがきっかけでした。

第二次大戦中、日本政府にそむきユダヤ難民に日本へのビザを発給し続けた外交官・杉原千畝氏。これによって命を救われた人は6000人にのぼり、彼らの子供、孫たちをあわせると今や25万人にのぼると言われています。ちょうど先週、杉原氏をモデルにした映画『杉原千畝 スギハラチウネ』も公開されましたが、危機的な状況の中、人道的な行いをした杉原氏は日本人として唯一、イスラエルから「諸国民の中の正義の人」として表彰されています。

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その杉原氏が外交官として赴任し、ビザを発給した場所がリトアニアのカウナス。旧日本領事館が現在、杉原記念館になっています。今年、8月中旬に長年の念願をかなえ訪問しました。

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バルト三国のひとつ、リトアニアのお隣ラトビアの首都リガを長距離バスで7:00に出発、リトアニア首都ヴィリニュスに着いたのが10:55。快適でネットワーク充実のLUX Expressで料金は片道27ユーロ。
ヴィリニュスのバスターミナルのすぐ向かいにヴィリニュス駅があり、ここからカウナスまで電車で移動します。でも、まずはスーツケースを預けましょう。駅の左側地下に入っていくとコインロッカーがあります。

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普通サイズで1ユーロ。ナント日本語対応!小銭がない人は横にスーパーがあるのでくずせます。

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ヴィリニュス~カウナス間は所要約1時間10分。料金は片道4.63ユーロ。清潔だし、きれいな車両です。地元のおばあさんと相席になって、のんびりと移動します。検札があるのでキップはなくさないでくださいね。

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お昼過ぎ、カウナス駅に到着。のどかなムードで、なんともさわやかな青空。駅から記念館までは徒歩圏内なので歩き出します。歩いていく場合、ぜひグーグルマップで場所を確認することをおすすめします。グーグル上ではDiplomatai uz gyvybe, Sugiharos fondasという名前で博物館のアイコンが示されています。

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駅を背に通りを右に歩いていきます。少し人通りがなくさびしいのですが、こんな方もいたり。ラトビア、エストニアのバルト国と比較して素朴、質素という印象です。

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やがて森の中を抜ける階段があり、ここをのぼります。私は昼間だったのでこの裏道的な一番近いルートを選びましたが、ちょっと不安になりますね。場合によってはひとつ手前のK. Būgos gatvė通りから行くこともお薦めします。森を抜ける道で駅から10~15分。近いです。

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階段を登りきるとこんな小高い場所に出ました。鉄道線路がよく見えます。電車、来ないかな。

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そこから住宅街を歩いていくと、ありました。杉原千畝記念館、かつての日本領事館です。

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ベルを押すと温かい目をした男性がドアを開けてくれました。マネージャーのラムナスさんでした。入館料3ユーロを支払うとまず、杉原千畝さんの生涯をつづったビデオを見せてくれました。

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館内、というか旧日本領事館は思っていたよりも小さなスペースでした。中心となるのは執務室。ここで杉原さんが「命のビザ」を発給し続けたのかと思うと感無量。胸にあついものが込み上げます。

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ラムナスさんが、「これがビザです」と見せてくださったのはコピーされたもの。ビザの原本は自分、あるいは自分の家族の命を救ったものだからでしょう。ぼろぼろになっても誰も手放さないのだといいます。

ラムナスさんが続けます。
「ミスター杉原は二千数百ものビザを書きました。ひとつのビザで子供たちなど家族も日本通過許可を得ることことができました。ほら、このビザには子供の名前があるでしょ。だから、結果的に6000人ものユダヤ人難民を救うことができたのです」


そもそも「命のビザ」とはなんでしょう。

ドイツ・ナチスのユダヤ人迫害が激しくなった第二次世界大戦時、ヨーロッパから脱出しアメリカなどへ移住するためには途中で通過する国の通過ビザが不可欠でした。そこで、多くのユダヤ難民がカウナスの日本領事館にビザを求めて殺到したわけです。それが始まったのが1940年7月18日の早朝。

押し寄せる難民に同情しながらも、外交官個人の裁量では決められない規模の大きさに杉原氏は日本へ電報を打ち、ビザ発給を申し出ます。そこにはこうありました。

「人生上、どうしても拒否できないこと」
「満たしていない発給条件を領事が最適と認めれば許可すること」
「あくまで通過ビザであるために最適と考えられる日本での滞在日数であること」

しかし、日本政府からの答えは、
「渡航条件を満たさない者には、通過ビザといえども発給してはならぬ」

当時、日本は日独伊三国同盟を模索していたため、難民へのビザの発給がドイツ(ナチス)との関係を悪化させることになると判断したのです。
また、日本の通過ビザには最終受け入れ国の許可が必要でした。当時、ユダヤ難民に対し入国ビザを出す国はほとんどなかったのですが、これを解決したのがもうひとりの人道的功労者、オランダ名誉領事であったヤン・ツバルテンディク氏でした。カリブ海にオランダ領のキュラソーがありますが、ここは税関もなく入国審査も必要ないということに気づき、最終受け入れ国をオランダ・キュラソーとした「キュラソービザ」を発給。これを手にした難民たちは杉原氏のいる日本領事館に駆け込み、通過ビザを求めたのでした。

外交官として本国からの命に従うか、それとも目の前で困っている人たちに手をさしのべるか。悩んだすえ、杉原氏はビザ発給を決意します。彼の手記にはこう記されています。

「苦慮の挙句、私はついに人道主義、博愛精神第一という結論を得ました。そして妻の同意を得て、職に忠実にこれを実行したのです」

それが1940年7月29日。そこから日本領事館が閉鎖された8月25日、リトアニアを出国した9月5日まで。休む間も惜しんでビザを発給し続けました。最後はカウナス駅で列車が出発する直前まで手書きでビザを発給し、車窓から放るように手渡したといわれています。

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もうひとつの部屋には奥様やお子さんたちの写真が飾られています。杉原氏は1986年、心臓病で86歳でこの世を去ります。奥さまの幸子さんは2008年に他界。

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柔らかな光と美しい住宅街の眺め。75年前、ここから眺めた先にはすがるように「命のビザ」を求めた多くの人たちの姿があったとは悲しいかな、想像できません。私が訪れたのが8月16日。まさに75年前のその頃、領事館閉鎖を目前にこの場所で毎日18時間、杉原氏はビザを出し続けていたのです。結果、2193通のビザが難民の手に渡り、日本を通過して亡命を成し遂げたのです。

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カウナスには領事館閉鎖後、リトアニア出国までを過ごしたメトロポリスホテルなど、杉原氏ゆかりの場所が残されています。今年2015年9月4日、「命のビザ」発給75年を記念してメトロポリスホテルとカウナス駅に杉原氏の功績をたたえるプレートが取り付けられたばかりです。

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記念館見学後、歩いてまわったカウナスは美しく、豊かさを感じる街並みでした。それもすべて杉原氏やツバルテンディク氏といった心ある人たちの尽力があってこそ。

杉原氏はこうも語っています。

「彼らは人間で、助けが必要だった。喜ばしいことは、自分の中にその助けを与える決定をする力を見出したことである」

"They were human beings and they needed help. I am glad I found the strenght to make the decision to give it to them."

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ヴィリニュスに戻るため、再びカウナス駅へ。あのとき、列車の窓からさし出された最後の一枚のビザを手にした人はどんな思いだったのでしょうか。また、すべての人を助けることができなかった杉原氏の思いとは。

ここから出発する自由を与えられている幸せに感謝すると同時に、私の中にも誰かを助ける力がささやかながらあることを信じ、これから見出していこうと思ったのでした。

※記事内の史実は記念館で購入した杉原千畝ガイドブックを参照しています。
by naoko_terada | 2015-12-06 23:29 | トラベル | Trackback | Comments(0)
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